最近ゲームが面白くない件 だから人が成長できるゲームを編

さてどうしたものか、先日ものすごい問題提起をしてしまった。つまりゲームが売れないのはオリジナリティがないから。と身もふたもない話をした。でも誰もが言えずに言いたいところだ。

今回はそこにフォーカスを当てよう。

 

ぼくが初めてやったゲーム「ポケットモンスター赤」これはまだ白黒のゲームボーイで出たものだった。当時旅行の帰りに縁日でお祭りの賑わいの中、父が欲しいものはあるかと聞いた。ちょうど誕生日だったのでぼくは遠慮なくゲーム!っていった。そしたら「いいよ」とお父さんは言って。知らないゲーム屋さんに入って「ここで一番売れてるゲームください」といった。普段は厳格な父がその時はものすごくかっこよくみえた。なんてったって気前よく一万円以上もするゲームボーイを買ってくれた。お店の人は「一番人気はこれですね」とそのゲームソフトを指さした。「赤と緑があります。どっちにしますか?」「だって、どっちにする?」「決まってるよ、赤だよ」「お買い上げありがとうございました!」ぼくは、すぐにはまってゲームボーイの画面にくぎ付けになった。「何かうまいものでも食って帰ろう」

と母と父に連れられ老舗のうまいもの屋さんに入った。ぼくが熱心にゲームボーイを離さないんでお父さんが聞いた。「面白いか?」「うん、でも部屋から出られないんだ」その時の僕は、ゲームなんて全然知らなくて部屋から出ることもできなかった。

 ようやく階段みたいなところが出口だと気付いた。まだグラフィックの少ない画像だったけど確かにわくわく感があった。ぼくは一瞬で、マサラタウンのレッドという少年になっていた。ゲームの少年は帽子を目深にかぶり顔をみせないようにしてなんだか博士のような人が「ポケットモンスターの世界」を説明していた。そして二次元の主人公は一頭身のキャラになって物語の中へ入っていった。

 

こんな導入部だけでずいぶん感動した。やっと手に入れたゲームだ。嬉しさ、楽しさで胸がいっぱいで夜、寝るのが惜しかった。階段を下りていくとレッドのお母さんがいて「子供もおいつかは旅にでていくのね」とこれからの冒険を予感させるようなことを口にする。ぼくは今度は扉を探した。マサラタウンのメロディが流れ、緩やかに時間が流れてぼくはようやく部屋のドアを見つけた。すると世界がいっぺんする。どこかの町にでて、家に入れば人がすんでてみんなぼくのことを知ってる。すごい、なんでぼくがわかるんだ。子供心に驚いた。原っぱに出ようとして誰かに呼び止められてその瞬間ぼくはこの世界の主人公になった。初めて見るモンスターボールの中にはポケットに入りそうなモンスターがいた。こいつがぼくの相棒だ!と迷わずヒトカゲを選んだ。するとライバルも同じくモンスターを選んでバトルになった。難しいことは何一つなかった、小学生の国語力でわかる簡単な文でライバルが挑戦してきたと。ひっかくとかたいあたりとかよくわからないけどとにかく攻撃すればいいんだ。ライバルに勝ってそして冒険がはじまった。こいつでもかなり頼もしいヒトカゲリザードに進化したときは大いに喜んだ。当時リザードンの絵を描かせたらぼくより上手いやつはいなかった。

二次元の画面に無限の広がりを見ていた。はいといいえしかしゃべらない主人公が本当の自分のように感じた。世界中を旅してそしてその先にあるモンスターを仲間にしていった。当時「ミュウツーの逆襲」をテレビで見てなんだか悲しかった。

 

それからポケットモンスターをクリアして友達とバトルしたりしてたころ、またもうれしいプレゼントがあったクリスマスだった。サンタの靴下に入っていたのはゲームソフトそれも「ドラゴンクエスト テリーのワンダーランド」だった。主人公はミレーユというお姉さんがいてまだ寝たくない子供のテリーという子だった。ふたりの部屋からお母さんが出ていくと、よそよそと棚からわるボウという妖精が出てきた。「ミレーユはどこだ、ミレーユは」といってテリーを置いてお姉さんのミレーユを連れて行ってしまった。呆然としてるところにわたぼうが現れた。「あれ、ミレーユは、しまったわるぼうに先をこされた、ねえ、君。力を貸してくれないか?」といわれていいえというやつはいない。ぼくはまよわずはいを押した。

ぼくは棚のなかにひっぱりこまれて気付いたら木の中にいた、そしたらおじいさんが「おお、今年の少年は君か、わしはモンスターじいさんじゃ」とよくわからないあいさつをした。

するとそとにでるとそこは大きな木の上にある国だと分かった。すごいなあ、と感じていた。こんな大きな木のことなんてぼくは知らなかった。でもあとになってセコイア杉というのがすごく大きくなる木だと知った。なんだ世界樹は本当にあるんじゃないか。

はじめはスライムだった。でもけっこう強かった。配合でどんどん強くなる仲間。高飛車とかおくびょうとかいろんな性格があった。ドラゴンクエストの漫画を読んで「メラ」とか「バギ」とか友達とふざけて遊んだ。

 

これがぼくの初めてのゲームだった。ゲームボーイカラーがでてものすごく関心したもんだ。だって色のなかったものに色がついたんだから。

 

そのあとに自分をゲームの世界に引き入れたのは中二の夏だった。友達にFFを借りた。そのころにはゲームキューブPS2が出ていた。だけどぼくがはまったのは初代プレステのゲームだった。ファンファーレとともに飛空艇の飛び交う国やそれを見上げる仲間たち。そのムービーの綺麗さに心を奪われた。僕は夢中でゲームを楽しんだ。主人公は尻尾が生えたちょっとかっこいい二枚目キャラだった。音楽もとても好きになって、ぼくは初めて音楽CDを買いに行った。でも歌はとても下手で音楽の授業はいつもうんざりだった。それどころか中学校生活そのものにうんざりしていた。だからFFの世界が

すごく自由に思えた。こんなふうに旅をしてこんなふうに仲間と一緒にこんなふうに世界を救う。僕の中で物語が生まれた。

 

ぼくは小説家になりたいと思った。

わかるだろうか?ゲームはぼくの人生を変えたんだ。

 

それがいつかの話だ。いまでも物語を書いている。なのに最近ゲームがまったく面白くない。思えば面白いゲームはそれなりの工夫があった。二次元の絵でも想像力はどこまでも広がった。三次元になったらそれがあふれて画面いっぱいに面白いギミックになってあふれた。

それがPS4の画像を見て呆れた。やってることはどこまでも創造性がない。マシンのスペックばかり上げて馬鹿みたいにリアルなのが売りなのか。メタルギアソリッドスターウォーズをみてすごいと思ったがその反面、想像できる部分がなくなってしまって面白さが半減してしまっている。ファンタシースターオンライン2が出たときようやくいいのが出たと思った。しかしあいつは永遠に人の見たいものを映し続けてその人を夢の中から返さない。

ゲームがそんなふうに人の人生を食い物にするようになっちゃいけない。子供は夜早くに寝ないといけない。歯を磨いてお風呂に入って。十分に運動して。そういうのがあるから人は成長していく。だからゲームを楽しめる。でもだれもその重要さをいわない。

 どうしてかそんなこと大人になってから気付くからだ。そして大人になったときには子供の心を忘れてしまう。ゲームクリエイターのみなさん。本当に想像性のあるゲームを作ってください。今、技術的な問題の大きな転換点なのでしょう。たとえば3Dになって三次元があたりまえになった今では、2Dすなわち絵のグラフィックでは追いつけない。かといって容量的に三次元をそのまま描くのは難しい。でもこの問題はそんなに大きいことじゃない。絵をかくのと一緒だ。反復練習して3Dが書けるように3Dのデッサン力を鍛えればいい。花とか絨毯とかそういう表しにくいものを模写すればいい。現実にあるものを3Dで書くそれ以上に大切なのは子供をちゃんと現実に帰す扉を用意することです。そして夢に逃げ込む扉も。今のゲームはどちらも開きっぱなし。全く現実という物語を書くのを忘れているから究極的なところで間違えるんです。へんな言い方ですけど子供が夜ちゃんと寝るから次の楽しみを明日に用意できるんです。明日のあるゲームを。