最近ゲームが面白くない件 ゲーム制作における7つの鉄則

まず、大ゴケにコケた歴代タイトルたち、ご愁傷さまでした。それについていろいろな人がいろいろな形でさまざまに期待を裏切られた恨みをぶちまけてますね。

唯一、期待を裏切らないように立ち回っているニンテンドーは、今スイッチで華々しい栄光を手にしてます。

さてFF15 ドラクエ11だいたいこの2つ、どうしてか、ドラクエ11確かに売れたが個人的にそんなに面白くなかった。だいたいどうもスクエアエニックス、こいつが結局問題児みたいな気がする。

そもそも、ゲームソフト一本作るのにハードの性能が上がっている上複雑なプログラムを組む必要があり、ゲーム制作の難易度と制作費がもはや採算がとれないほど釣り上がっている。

そして有名タイトルともなれば、ユーザーを10年間も待たすのは当たり前、さんざん前評判で盛り上げといて出たゲームはクソゲーに等しくこれを買わされるユーザーはもう裏切られた怨念で地獄のような思いを強いられる、そしてもはや売れてるレビューの比較的良いそしてyoutubeなどで多くの実況者を獲得したスイッチはなぜ躍進を遂げているのか?

では最初に結論からいいましょう。最初にゲーム制作における7つの鉄則を上げておこう。

 

  • 時間をかけない
  • 大容量にしない
  • 手を抜く
  • テーマをしっかり
  • わかりやすく
  • 難易度
  • プレイヤーたちへの思いやり

サブ ミニゲーム

 

 

さて、時間をかければ良いものができるだろうか、いや10年も待ったり、制作が難航してる長編ゲームはだいたい成功しない。何故か?

長編小説だってキャラを20人以上だし、そしてなおかつストーリーを作者が細かいところまで把握できなくなると制作時間はそれに比例するように長くなりそして引き伸ばせば引き伸ばすほどわけがわからなくなりそして小説そのものが頓挫するというのは私が小説を描いている中で経験した現象だ。

どうやれば、そんな永遠に終わらない制作に終止符を出せるか、もう、ここで終わりと勝手にストーリーを寸断する。それをやったのがFF15だ。

あれをやっていて思った。いろいろ面白くなりそうなアイディアが随所に見えるがそれ全て乗せるとたぶんあのFF15の三倍の容量を必要とするだろう。

 

そこで登場するのが「大容量にしない」だ、いいじゃん、ゲームの目玉になるものが1つか2つあれば、大容量でもいいからクオリティに命をかけるとどうなるか、自然、力の入れやすいグラフィックから凝る。

どうなふうに凝るのか、それはひたすらリアルに描くのだ。髪の一つ一つ肌のきめ細かさ、ここまでやられるとはっきり気持ち悪い。グロテスクだ、しかしクリエイターたちはそこに気づかない、キャラを書き込めば書き込むほど現実の人間に近くなる、がそれは現実の人間はその中で生きていて多彩な表情や仕草をする。しかしゲームはリアルにしても生きている人間のようには表情や仕草を真似られない、するとリアルなだけでものすごい無表情な人形のようなキャラができる。昔のFFはグラフィックたしかに当時の最先端だったが、それはゲームのキャラをいきいきさせるためだった。微笑んだり、怒ったり、そのゲームの中でキャラが生きていた。そういうベクトルで作り込むならいいのだが・・・・・・。

そして例のオープンワールド。大容量のゲームが楽しめる今の高性能ハードはこれを可能にしたが今の所成功してるのは洋ゲーゼルダの伝説ブレスオブザワイルドだけだ。

それはどうしてか、ここでも追求するベクトルを間違えている。スクエアエニックスRPGの世界観にオープンワールドは最適だと考えたようだが、実際、それは不自由さしか感じない、そこには見渡す限りの世界があるのに、見えない境界線で仕切られており、ゼルダのように、いろんなところに好きなように行けて虫取りだけで一日遊べる自由さはなく、自由に世界を走り回っていると思ったらひたすら敵のエンカウント、それもFFもドラクエも倒すのがレベル的に不可能な初見殺しが存在するため、気がつくと自由に世界を駆け回る楽しさではなく、いつ現れるかも知れない攻略不可能な無敵モンスターに怯えながら、オープンワールドを行き来しなければいけない、そしてもう一つは見えない境界線問題。自由な世界を作りたいのに、結局ある程度ストーリーが進まなければ行けないエリアが存在することでそもそも自由な世界ではない。

これなら従来のワールドマップからのチャプター移行のほうがずっと楽しい。見えない境界線に仕切られたオープンワールドが体現したのは息の詰まる不自由な世界だった。

 

FF15のグラフィックは気色悪いの一言だ、やたら暗くて動きや神秘的な雰囲気を描く時間をひたすらリアルなグラフィックに費やした。昔は氷の洞窟などを探索すると本当に見たこともない世界を冒険しているという感覚に陥った、だってきれいだもの、その綺麗さをリアルにかくと暗い陰影の付け方が強調されてダークな世界観ならまだしもFFのようなライトな世界観にはあっていない。

リアルにつくるより、グラフィックを落とせば自然と動きや神秘的な表現がしやすくなるのではないか。容量が重くなるとローディングも長く複雑なゲームシステムを一カラ覚えるようなことになり、もはや遊んでいると言うより仕事をしているに等しい。

ゲームシステムを変えれば革新的というがジョブチェンジにステータス割り振り、スキルやアビリティの取捨選択いったいどこまでプレイヤーの労力を使わせる気だろう。

一言でいってしまえばめんどくさいだよ。プレイヤー大多数がコアゲーマーだと思ってんのか?難易度イージーで丸ボタン連打で楽しみたいイージーゲーマーから友達や恋人とやってわーきゃーやりたいミーハーゲーマーまで、いろんなゲームの楽しみ方があっていいだろう?ゲームシステム、複雑にするなら初心者救済モードやこれまでのFFが好きな人のためのモードも用意しろよ。

まとめると容量なんてなくていい。

 

するとこういう結論に至ります。もっと手を抜くところは手を抜こう。はっきりいってスクエアエニックス、ゲーム制作において何に力を入れるべきかもはや、なんだか全カテゴリ全てに目一杯全精力を使うという作り方をするのが王道みたいにしてますが、これってゲーム制作的に無理がある。というかそんな4つに組んだやり方で大勢の人がいろんな立場やいろんな考えのある場でやるとどうなるか、混乱しますね?全てにパーフェクトでなければいけない。当然負担がかかるのはプログラマー。そんなパーフェクトな物を動かすロジックを描くにはさらにパーフェクトでなければいけない。

今のスペックでパーフェクトなゲームを作るにはオンラインゲームの規模の設備と人員が必要じゃないでしょうか?

そして最近のゲームをやってて思うこと、なんでこんな無駄なところに金と手間をかけてるのか?オープンワールドアクションRPG入れて、映画みたいに作り込んで、音楽はもう、スペックだけあげてラジオで流れてくるみたいにとかオーケストラでとか、あれ、ぼくはゲームをしてるんだよね?

いいんだよ、手を抜けば、それでね?力を入れるところが間違ってる。見たこともない景色1つにしたってなんでこんなグラフィックごりごりに?クオリティ=素晴らしさじゃないんだよな。そうだ、機械都市とファンタジー融合したら、近未来ファンタジーみたいな雰囲気でるかな?そうだそこに不思議な美少女がいきなり出てきて、主人公は身の丈まである剣を片手で振り回していつもクールに決めてて、じゃあ、機械都市に対抗する地下組織つくっちゃえ。FF7ってこんな感じじゃないですか?

グラフィックは幼稚なのに音楽だってMIDI音源より少し上くらいだけどちゃんと雰囲気がある。ムービーを入れたのだって、幼稚なキャラデザインに命を宿すために最初のインパクトづくりのためでしょう。

キャラに表情はなくとも全身で感情を表現するようなモーションのおかげでちゃんと喜怒哀楽がこっちに伝わる。

あれを全部ムービーのようなキャラデザにこだわっていたら、こんなにウケなかった。

なんかね、今、レトロゲーが復活してきてる。昔のゲームハードがリメイクされてソフトやクラシックとかいって売り出されている。ゲームがまだゲームだった時代にみんな戻りたがっている。

だれもこんな未来望んでなかったようなんだ。

 

それでだ、結局じゃあどこに力を入れればいいのかそれが「テーマをしっかり」ということなんだ。まずはじめに決めたテーマを途中で変えずに貫くのはもちろん、どんなテーマにするのか?FF15なら亡国の王子の宿命だよね?とするなら国が滅んだのは何故か?今はない王国の王位に何の意味があるのか?意味を持たない冠に固執してもしょうがない現実。なら王子としての肩書を捨てるのか?それともあくまで王国復興に生涯を捧げるのか?ぼくは思った、このテーマって今のスクエニの現状そのまんまじゃないか?

スクエアでもなくエニックスでもない。なのに未だにドラクエとFFに依存している。国が滅んで敵国と一体となったのに別々の国だったときの神話だけが語り継がれてる。

いいかなファンタジーてのはさ、幻想じゃないんだよ、現実の写し身なんだよ、だからちゃんと社会批判にもなるしテーマがありそして、物語になるわけ。

すると問題はちゃんとスクエアエニックスを描けているか?ってことなんだよ。

でもさ、この王子はっきり言って論外だよ。まずやる気がない。それから王子としての自覚もない。王に対する接し方から何故今隣国の姫との婚儀のために旅にでるのかも自覚がない。

最近、こういう主人公が多い。頭がぼさぼさで無個性で。なんか今の主人公はみんな同じに見える。でこれ何かって言うと今の若者なんだよね。

だけど亡国の王子が今の若者と同じでいったい物語になるのか?ならないよ、とは言わない。現にそれで成功してるのがFF7だから。でももうその一種の哲学やめない?

思春期の自己の確立なんて、ガンダムとかエヴァとかもうやりつくされてるんだよ。このゲームのOPに大々的にあったけど「これは真の王の物語」なんでしょ?

じゃあ、なんで国を滅ぼしたの?国のない王が真の王なの?最後には結局このゲームのテーマ(主題)を放棄し続けたつけを最大の敵に指摘されまくりぐうのねもでない、ああ、かっこ悪いったらありゃしない。これがファイナルファンタジーかよ・・・・・・。

 

そして最近のラノベやら漫画やらゲームやらの最大の難題、「わかりにくい」何がって、いや意味のわからない用語を羅列するのいい加減やめようよ。

パルスのファルシのルシがパージでコクーン

  「はい、この意味が分かる人!」いやいやいや、学校じゃないんだからもう、用語解説で千ページ行きそう、なんかトールキンの摸倣をやろうとしてるみたいだけど一つ一つの言葉をちゃんと調べてみると元ネタがあって、だいたい神話とか聖書とかラテン語とかそこらへんからさして意味もなくなんかすごそうみたいな感じで使ってるよね?

  あと、もうゲームシステムが難解すぎる。「俺達がやっているのはゲームだよな?プログラミングじゃないはずだよな?」もう最近のゲームやってるとなんだこれ?

 これは、プレイじゃなくジョブだ。

 そして操作方法、いや説明書がデータになったことで更に読みにくくなった。説明書が果たしていた役割。それは初めに世界観とキャラクターの外見と名前そしてあらすじと登場人物の背景、昔は説明書を見るのが楽しかった。もっというと攻略本買うのなんかもっと楽しかった。どうしてか?ああ、ゲームってこうなってるんだってわかるし、ページをめくる度に友達と新しい発見があった。それに肝心の操作方法が手軽に分かる。

 そしてゲーム初心者や、イージーゲーマーには攻略不可能な難易度にしてあること。

 もう、「わかりにくい」ってだけじゃない。そのゲームを買っても最後までできないで途中で詰んじゃう。やめてくれよ、せっかく買ったんだよ最後までやらせてよ。

 だから言いたい、

 わかりやすいゲームが一番だよ!

 

 で「難易度」の話になってくる。ねえ、今のゲームは差別を作ってるって気づいてる?最近ゲームでわかんないことをネットで質問してる人をみると「はい、雑魚発見。うぜ(笑)」

 なんだよ、それ。人のプレイングなんていいじゃないか!

こんな現象が怒ったのはゲーム自体の難易度がハードが高性能になるにしたがって跳ね上がっていき、ゲームの腕がある人はかっこいいという感覚が一般化していってる体と思う。じゃあ、純粋にゲームを楽しみたいゲーマーはゴミなんですか?スイッチにしたって全部高度なゲームテクニックが必要なゲームばかり、youtube見てると最近こう思う、もう人がやってるの見てる方がいいわ。

だって自分のテクニック上げてもなんか上には上がいてその少数の人が今のゲーム社会を動かしているように見えて俺たち弱小ゲーマーはもう、完全に白けてるんだよな。

大人げないよ。みんな、昔はともだちに一人はゲームの上手い子がいて、やっぱりその子がスターだったけどぼくみたいな弱いゲーマーでも一矢報いるくらいはできたし、なんだかんだいって勝てないけど楽しんでたよ。でも最近は攻略出来て当たり前、楽しむことより勝つこと、ぼくたちはカイジじゃないんだよ。結局、なんにも物を賭けないで賭け事をしてるんだよな、そこには買っても負けても公平な平等な世界があった。買っても負けてもうらみっこなし、だって失うものはないから。それがゲームだったはずなのに、最近は勝つとプレイヤーのアカウントにレベルが加算されたり、プロゲーマーになってとかユーチューバーになってとかそんなやつばかりになった。

ゲームでムキになるとかそんなんじゃなくてもう、その人にゲーム会社が合わせてゲーム作ってるんだよ。

いつからゲームは楽しんでするものじゃなく、勝つことが大事になった?

 

そして最後「プレイヤーたちへの思いやり」

ゲームには様々な楽しみ方がありプレイヤーの数だけその楽しみ方がある。

だから、ゲームを形にするとき、予めいろんな選択権をプレイヤーにもたせましょうよ、難易度はイージー、ノーマル、ハードと選べるとかあともっといえば十年も期待させといて裏切るな、あとは、せっかく買ったソフトなのに最後までできないような仕掛けとかそもそもハードを出すときだってものすごくみんなお金と期待感をもっているのに、いざ買ってみたら最悪だった。なんだか楽しむものに今苦痛を喜んで買わなきゃいけなくなった。

テトリスがいまだに愛される理由、どんな人でも楽しめる。そこにゲームの原点があるような気がする。

 

最後にぼくは最近思う下手な新作を買うより安い中古でいいのを発掘するほうが面白い。

 それどころか将棋や囲碁やチェスやトランプ、不変的で頭を使い友達ができる。こんなゲームの方が面白い。

 たしかに最近ゲームが面白くない件を書いてて思うこと、面白くなくなったのは大人になったぼくの方で未だに

 子どもたちは普通に楽しんでること。でも、大人になった今こんなつまらないことを思う。

 みんなで映画を見てるのに一人だけゲームしてる子ははたして幸せだろうか?

 ご飯をみんなで食べてるのにいただきますもごちそうもさまもいわずにすぐにTVに向かう子供は礼儀正しくなるのか、プレイヤーへの思いやりがあるなら、クリエイター(世界を創る側)として(世界に挑む側)にたいしてある種の礼儀は必要なんじゃないか?今TVゲー業界が低迷しスマホゲーに吸収されている今もう少しなにかないと子どもたちは自分の世界観から出てこようとしないと思う。

 サブ、ミニゲームについて。

 いや、難しいことは置いといてミニゲームってあると気分転換になるしいいよね、でもそのミニゲームが攻略不可能な難易度でしかもそれをクリアしないと手に入らない攻略上必要なアイテムや装備があるとかそこで詰んだ子はどうなるの?ミニゲームにそこまで重要度求めてないから!

ゲームは楽しんでするものだよね。