最近、ゲームが面白くない件 ゲームクリエイターは体を動かせ編

ゲームにおいて、もっとも重要なのは音楽と映像とストーリーであるが、さらに重要なのはゲームとしてのシステムや主人公たちの動き、世界観のヴィジュアル化、そして各種、街や村のグラフィクにモンスターから宝箱まで。

そういうふうに一本のゲームにものすごい数の情報をつめ込まれているというところだ。それもいまや3Dグラフィックが当たり前、つまり、ゲーム機の中に一つの世界を表現することが求められる。絵がかけるといっても、じゃあ、モンスター168種作ってといわれてほいほい作れるわけではない。ゲームの絵柄はそのまま世界観の設定につながる大事なポジショニングで素人に任せることのできないものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 みんなこんなゲームが作りたいといってゲーム会社に入社するのだろうけど実際、どの程度までできるのか?プログラミングは置いといて。絵でどこまで書けるのか、動きというものについての知識はどの程度なのか?

音楽なら作曲ができるか、それが一般に通じるか?

私は別にゲームクリエイターではないが、一介のアーティストとしていいたいことある。ゲームクリエイターゲームクリエイターではない風呂敷をいっぱい持ってなきゃいけないんじゃないか?

どんなゲームが今、ヒットしているか、妖怪ウォッチモンスターハンターポケットモンスター無双シリーズFPS

だが今は、有名タイトル以外のゲームは需要がゼロだ。どうせろくなゲームじゃないと避難する、だけどたぶんやったら楽しいのだ。できなくさせているのはソフトの価格の高さだ。だからPlayStation2のゲームが1000円しないで買える今の状態ではどんなに良いソフトを高スペックのハードで出してもユーザーは動いてくれないのだ。

もう感覚的には価格破壊までいってるけど昔のゲームでも結構遊べるじゃあ今のゲームは何が違うの?昔も今も変わらないじゃん。なんで今さらFinalFantasyx・x2をリメイク?画像が綺麗だけどそれだけ?

つまりここにユーザー置いてきぼりのつけが来てる。海外でどれだけ売れようとジャパニーズテイストのあの独特のオリジナリティが新作ゲームを後押ししない。そんな冒険ができない。ユーザーは108円で昔買えなかったPlayStationのハードを買うさ。わたしはPlayStation 2というハードの安っぽさが嫌いではあるが作りこめばすごいものができると思っているげんに神ソフトと思われるものをいくつか知ってる。そして安かった。じゃあいまでも需要があるのは実はps2なんじゃないか。ならps2で新作作ってもいいと思う

 

 

 

 

名タイトル ----------------プレイしてて嫌なのが主人公の動きだ。FinalFantasyXとかキングダムハーツとかプレイしてて嫌なのがこれだけ雰囲気があるゲームが主人公の走り方で幻滅するということだ。ティーダはユウナという召喚士を守る戦士でソラはキーブレードを操る勇者だ。その主人公たちがバタバタという足音で走ったら幻滅するでしょう。ソラを動かしててもアクションRPGなのに完全にかったるい。いろんな防御や回避方法があるから面白いんだけど走り方一つくらい軽快にタタタと走れないのか、だいたいあんな腰を低くしてまるで足を一歩一歩踏み下ろすように足音を立てて歩く必要性がないのだ。中国拳法の心意六合拳の達人で震脚を使うというなら、それでもわかるだが敵に気付かれないように歩くときはそれなりの歩き方がある。つまり走るというのを完全にわかってないのだ。そうとしか思えない。

でもFFXキングダムハーツもすごくいい。当時は燃えたゲームだ。それはユウナというゲーム至上初ハイクオリティの絶世の美女。それも日本風の格式高い美女だ。キーブレードはライトセーバークラスのいいアイディアだと思う。ゲームのテンポに合わせて走り方を考えたにしてももっとやり方はある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だいたい、あんな走り方したら子供でも膝を壊す。いい走り方とはまるで一本の縄を伝ってトトトと走るかのように走る。

 

 走り方一つで全然違う「デビルメイクライ」のダンテもまだ「走る」というのがちゃんとできてない。戦いの達人が音を立てて走ることはないしあんな鈍く走りもせんだろう。

    つまり走るというのはもっともう飛んでるようにまるで背中に羽があるように走るべきなのだ、一番近いのがファンタシスターポータブルインフィニティだ。あれのすごいところは、まず停止した状態から歩き出し「歩く」というところから「走る」というところへ流れるようにシフトするので無限の可能性が生まれるのだ。移動の中に「歩く」ことができるのとできないとでは全く違うのだ。移動の仕方にバリエーションを与えることこそアクションRPGの可能性の広がりにつながると思う。そういう意味で「ANUBIS ZONE OF THE ENDERSを挙げておきたい。これのジェフティのように走らせてほしい。このくらいのスピード感が陸戦でも必要なのだ。ようく見てほしい。ジェフティの脚には足首から先がないのだ。そう必要がないからだ。つまり究極的に走るということはこういう感覚だと感じてほしい足首なんて大きく描く必要がない胴体からするっと伸びる麗美な脚線美がグラフィック的にも機能的にも一番いい。土をけるという感覚をなくすことだ。

そ ういう意識改革をしないと走るという行動は変わらないつまり太ももからふくらはぎそして足首があって足の指とかかとが伸びる。だから必然靴を書こうとする。

まだ地面を走っている感覚を捨てきれない。だが速くそして持久力もある走り方は飛んでいるのに等しいつまり上のジェフティのように前傾姿勢で重心を前へ倒れこむように走り倒れこむ力を利用して走るのだ。すると剣というものの攻撃方法がわかる。つまり一瞬で重心を前へ倒して初動を限りなく少なくしてそして間合いを詰めて敵を斬るのだ。

 

つまり感覚的なリアル差が全然ない現実的に実際に体を動かしてみないとわからないことだが、ジェフティのような動きができるのは剣道高段者でも少ない意外とスケートとかやってる人のほうが近いかもしれない、ジェフティのこの前傾姿勢というのは容易にできるものじゃない。つまり崖から落ちる時、体が前に倒れるその感じだ。つまり地面があってはできない動きなのだ。人間には平衡感覚があるから地面に倒れこみことは不可能なのだ。

 

 つまり「歩く」>「走る」>「跳ぶ」くらいの三段活用でその三段目になにを見せてくれるかでゲームの意識革命が起こるのだ。つまりジェフティの見せたあのワープのような技。それが前後左右上下全てにできればやっと

源義経」の八艘飛びに行き着くのである。

 八艘飛びとは源義経の逸話で、王城一の強弓・精兵”と評されていた武将、平教経(のりつね)が、約1ヶ月前の屋島の戦い以来、義経を討つことに賭けていました。 平教経は源氏の船に単身で斬り込み、義経を追い討とうとするのですが、身の軽い義経は、海上を飛び跳ねるように別の船に乗り移り、教経の攻撃をかわし続けたといわれています。 「平家物語」によれば教経との組み打ちを避けようとした義経が二丈(6メートル)も離れた隣の船に飛び移って逃げたとされています。単純に人が6メートル跳躍できるかはしりませんが船の波の上下や船から船の高低差を考慮すればもしかしたらできるかもしれません。その先を見据えてほしい。

つまり、プールや素潜りの飛び込みができるようになって初めてわかりだす感覚ででも今のユーザーのスピード感覚はジェフティのように飛んでいるような早さでのアクションなのだウサイン・ボルト氏の足はどうか?ふとももからふくらはぎ、足首と流れるように綺麗にまとまっている。別に世界を支配する魔王に対する勇者がこの脚でなくてはならないわけではないが、走り方一つがゲームを大きく変えることをしってほしい。こういうのは古武術の技術でその技が今も受け継がれています。柔術などで小さなご老人が六人の大男を投げ飛ばすような技を一度はどこかで見ていると思います。人間の体に不可能はないのです。

それでは、今日はきりの良いところでこの辺で終わりにしよう。

 私的な話だがもうちょっと自分の体を動かしてみてほしい。歩くんでも走るんでもスポーツでも武道でもよいのでそれがどんな動きが理想なのか分かる鍵である筆者はそういうことを最近よく自覚するのだ。

最後に私が読んで参考になった本のタイトルを載せておく。

「金哲彦のランニング・メソッド  著 金 哲彦」