ちょっと、なんだか平和にゲームや遊びの話をする前に私は、この日本という国にエールを送りたい。

 この国が、戦後、戦争というものへの罪悪感を植えつけられながら、戦争に加担した多くの軍人や人々が、あの戦争で、どれだけ日本人としてそしてアジアの代表としてどれだけ、多くの人に希望や、戦時下にあっても人間らしさを忘れてはいけないことを、胸に届けたかを、最近少しですが分かった気がします。だが同時に日本人が西洋式の利益中心主義に自分のアイデンティティを見失っていったことにものすごく悲しくなりました。

 たしかに神風特攻隊や回天などは非人道的かもしれません。しかし日本人は、国のためなら腹を切って一命を賭すという崇高な精神がありました。この国が正しい方向へ向かうならまた、人間として崇高な目的のためなら一命を賭す。この心意気が特攻という空前絶後の作戦につながったのではないでしょうか。アメリカの人は、いまだに真珠湾のことを忘れません。しかし、アメリカという自分よりも何倍もある国土と、経済力のある国に、恐れず奇襲をかけるというのは、そうできることではないと思います。

 奇襲は、兵法です。それを日本より何倍も潜在的な力のあるアメリカがフェアではないというのはおかしいです。日本の武術には三つの先というものがあります。先の先、つまり相手の攻撃より先に攻撃を仕掛けること。つまり先制攻撃の理です。日本は、大国相手に後の先や後の後をとって敵う戦は国力がすでに出来ないことを物語っている。戦争を始めたという意味でアメリカが真珠湾攻撃を非難しても、逆に戦争に踏み切る勇気のある日本というのもまた、それが大国アメリカに対してなら、小国の日本がよくぞやったと見ることもできるのではないでしょうか。戦争を愚かなことというのは簡単です。しかし、人間は、戦わなければならない時もあると思うのです。

 たしかに日本も特攻隊や回天を使いはした。けどアメリカだって原爆という大量虐殺兵器を二発も使っている。そして、二つの町を消し飛ばしたのです。その後だって放射能がどれだけの人間を苦しめたか。

私の父が子供の頃に見たという「私は貝になりたい」には、戦争が終わってやっと平和になったと未来に希望のあった、戦時下において、上官に命令されて殺さなければならなかっただけの一市民が、あれは言葉にできない。それほどの絶望の中、かたことの日本語でアメリカ人に死刑を宣告される。あげくのはてには死刑の間際に家族にあてた手紙が、「もし生まれ変わるとしたら。いや、もし、生まれ変わらなければならないのならわたしは牛か馬になりたい。いや牛か馬になったらまた人間にひどいことをされる。もし生まれ変わらなければならないのだとしたら、そうだ深海の貝がいい、深海の貝なら海のそこにへばりついているから兵隊にとられることも戦争に借り出されることも房江や健一の心配をすることもない。私は深海の貝になりたい」そういってたとえ敵の捕虜を殺したとしても、赤紙一つで呼び出され、あげくの果てには殺そうとしたはしたが、結局、捕虜の腕を銃剣で突き刺しただけで上官にぼこぼこにされてのびてしまったという。貧乏でなんとか生活を切り盛り夫婦の契りを交わした奥さんとやっとこさ、店を開いて、その挙句の赤紙、彼の死刑台を登るときの絶望は、筆舌に尽くしがたい。

GHQは、確かに日本国、戦争にたいする罪悪感を植えつける政策をしている。この戦争で悪いのは、日本の軍部であり虐げられたのはその国民だと。そしてアメリカにはなんの戦争責任もないというのだ。

だけど私は日本人が自分のアイデンティティを見失っているからこそいいたい。アメリカ人は日本人がわたしたちの仲間を大勢殺したと言う。しかし、戦争なのだ。アメリカ人だって日本人の仲間を大勢殺したはずだ。捕虜を銃殺したりしたかもしれない。だけどしかしアメリカ人もなにもなかったはずはない。

私たち日本人が問題とすべきは、アメリカに二度と戦争を仕掛けられないように自身に罪悪感を植え付けられ、そしてそれは私たちのアイデンティティを潰している結果になっているということである。

 それが分かる事例はやまほどある。学校のいじめや上からの圧力にたいしてまったく無力であること。昔の日本人の、これは武士という特権階級の人間の思想だが辱められたなら、互いに刀であだ討ちをし汚名をそそぎ、上司の理不尽な命令には藩の威信に関わると一命を賭して上訴することができた。

しかし、戦争への罪悪感、すなわち戦わなければならないときに戦えない。むしろ自分が悪いのだと考えてしまうのは、昔のアメリカ合衆国に牙を抜かれたからに他ならないではないだろうか?

 私は戦争に大反対の人間である。しかしそれは、戦争と言うもの自体への嫌悪と最近になって感じ始めた、本当に日本軍はそれほどの悪をしたのか、戦争という重い重罪を勝利者によって責任転嫁されてしまう。それによって自分の道を見失わせるほどのことが簡単に出来てしまうから私は戦争に反対するのである。

だからといってアメリカの人を責める気は毛頭ない。それは戦争だからである。もし、日本人がこの戦争にかっていたらおなじようなことをしただろう。

私がいいたいのは、負けないで欲しいということだ。傷つけられて、おまえは人間以下とよばれても自分を責めないで欲しい。そして傷つけられなら、牙をむく覚悟をもってほしい。

それには、自分にいつも言い聞かせることである。自分には、牙があると。だけどそれを鞘におさめておける心の広い人物であると。自分を肯定することから、日本人は罪悪感から抜け出す道が開けると私は思うのだ。

そして東北大震災で暴動もパニックも起こらず、復興しようとしている日本という国とその国民はわたしは素直にすごいと言いたい。