わくわくするような冒険を一生に一度はしてみたい

 

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ちょっとお絵かきソフトでぱらぱら書いてみました。最近、やっとこのように絵の構図というものを意識するようになりました。ボールペンで書けばもうちょっとグレードアップします。

 

それにしてもなんていうかわたしのフリーメールにわんさか、出会い系のメールが届きます。

彼女たちはたぶんサクラというやつで何億円か、あげますよなんていってそんなふうに人を釣るんでしょうか。

私が、そういうものに行かないと分かってるのに執拗にメールは来ます。毎日のメールのチェックはその迷惑メールの削除です。しかし、ものすごいですね。いろいろなこれでもかという誘い方で、釣ろうします。人間の男女の文化はある意味でものすごく進化したのかもしれません。

男女の文化、男女交流はいまや月々に使用量を払えばだれでも使える薄い電子板の上でいかなる形態の交流も起こっているのです。

昔は、嫁は嫁ぐものでした。武士に生まれれば、成り行きでお見合いをしそして関係が深まってそして一緒になる。大変、古典的ですが今、行為だけしてさよならね、という人たちからするとずいぶん、人間的に良好な恋愛体系だと思ったりする。

幕末はだからよかった。そういう古いものがあってなお、坂本 竜馬のような恋もできた。

そうだ、風当たりなんて気にしなければ町娘と武士が結ばれてもいいんだ。

時に、家出の少女が寝泊りする家を貸すかわりに体を許すそんなことが起こっているというのを、前に2チャンネルで読んだんですが。

私は、なにかそれが今のこの人間関係の希薄な世の中で、はじめて若者たちが親も家族もおいて若い心のういういしさを切に胸にしてすこしでも肌を温めあいたいというなんというか若者たちの若者だからこその人との触れ合い方の一つなのかと思ったんです。

わたしはいいじゃないかといってしまうんですね。親は泣きますよ。友達は面白がるか、まあどうだかわからないけど。でも、そういうふうにしか人の温かさを感じられなくしたのはやはり親たちじゃないか。

あのう、別にこんな交流ばかりが世にはびこっていいとはいいません。私自身、あんたらそれで子供が生まれたらどうするねんと思っています。けどでも男女の交わりは今も昔もかわりありませんねというところなんですよ。いいたいのは。

で、この話は、いってみれば、身分や体裁ばかり気にしてる武家の一人娘がそんなのがいやになって飛び出して気に入った若い男と一緒になるってこれはひとつの時代劇みたいなロマンじゃないでしょうか。

話が幕末で起きそうな事件じゃあありませんか。

なにかこう親とかこうじゃなきゃだめだとか思っている頭の固い人にはやはり今の若者を許容することが無理なんだなとちょっと勝ち誇ってしまいます。

男女が一つ屋根の下にいればなんでもなにか起きますよ。一人暮らしの独身男はやはり人寂しいでしょう。女の子だってそうでしょう。

子供育てたことないけどね、押し付けちゃだめだよ。押し付けたり縛ったりしないで、理解してあげる。むしろよくやったといってやる気概があっていい。

やはり親は、しつけというものをどの年まですればいいのか考えるべきですね。それにしつけというものが行き過ぎて束縛になってやしないかちゃんと見ていないと、子供はそのうち、親の言うことなんか聞かなくなりますよ。それはあなたが子供の言うことを聞かなくなってるんだからですがね。まあ、一概にはいえません。

そしてある時点で親は子供を認めるということが必要だと思います。おまえとおれはもう対等だぞというのです。人間は、甘えというものを殺さないと本当に独立した子にはなれない。だけどあなたしっかりしなさいよなんてのは、子供の言い分を聞かないで要求だけ突きつけてるよくいる親ですね。

ちゃんとした考えのある大人なら子供もそれにならって考えます。だから自分を成長させることを見せることこそ、子供の一番の教えになるんじゃないでしょうか?

私は建築家の息子ですが、そのかいあってか小学一年で立体を書いていました。小学一年だと例えばバスを書いたら、四角をかいて窓をつけるだけあとは二つ丸でタイヤを書いて終わり。そうじゃない。わたしの周りには自然といろんな美術書がありました。だから絵というのはという思考をしてたのですね、それも視覚的にです。ですが、それのせいか今は、写生は下手で、絵を真似して書くのはうまくなってます。

 

だから一生に一度わくわくするような冒険をして、子供に晩年、お話として話してあげる。そんな年のとり方がしたいなあ。