そろそろお金というものに本気で考えてもいいと思った

 

 

そろそろ本気でお金のことを考えてもいいと思った。

 

 

 

 

 

 私はもう若くはない。ということ最近をよく考えるようになった。ゲームをしたりア

ニメを見たり映画をみたり楽しいし自分自身、いろんなものに首を突っ込むのが好きで

いろいろやってる。

 

 だがそうだ、もう若くはないのだと思い始めた。というよりその焦りが足元までじわ

じわ来ている。

 

 お金を稼ぐというとなぜかみんな会社に通うということをイメージすると思う。なん

でか、会社というのは雇用形態

がきっちりとしていて長期的に収入が見込めるからである。

 

 バイトと違って収入が安定している。だけどどうなのか?収入を求める時、労働だけ

がお金を稼ぐ方法なのか、

 まあ、基本的にはそうなのだけれども、だがそのために今自分に会社で働くほどのス

キルがあるのか疑問でだいたいそうしてその会社に入りたいのか、もっともな話。あな

たは将来どうしたいのかということが結局はどんな会社でどんなことをやるのかにつな

がるという月並みだがとても現実的な話になるわけだ。

 

つまり君は何になりたくて生きてるのということを会社からも言われるわけだ。

 

 ブラック企業とか就職難とかそもそも二十歳前後の学生がいったい自分の人生で何が

やりたいのかなどと問い詰められるわけである。

 

分かるわけないじゃん(笑)

 

 ぶっちゃけた話、なんかその時非常に興味があったことを志望動機の欄に書き込むく

らいがせいぜいだと思う。

 

 こんなこと言ってて大丈夫か的な話なんだけど、つまりこれを後回しにすると将来と

ても困ることになる。

 だって将来なりたいものがないのにどこかの企業に就職、仕事の出来不出来で採点さ

れ、出来ないものは淘汰されていく。

 

 お金を稼ぐのと夢は別と考えるのもいけすかない。逆に夢があってそれに一番近い仕

事をして経験を積むから次のステージがあるんじゃないか?

 

 だとしたら大学を決めるところでもう自分の将来を完全に見据えてないといけない。

そんなことが今時ふつうの高校生に突き付けられている問題である。

 

 私はこの問題に中三の時に答えを出した。物語を作る。これが私の夢でありこれに付

随した何かなのだ。

 物語を作るといってもライトノベルのようなものを作りたいわけではない。将来、子

供やいろんな人に影響を与えるようなものが作りたい。そうすると必然この世の中の絶

対的な真理はなにか?とか、それから歴史や宗教、そして社会問題、人間というものに

ついて、私の人間関係、いろんなものに興味を持つようになる。そしていままでいろん

なことを考えてきた。それでも足りないのである。自身の中にあるものだけで何をどう

してもどこかで進まなくなるもので他者の介入が必要になってくる。

 

 

 

 

 

 だが人間馬鹿正直に生きるのはとても難しいことでだったら誰かによんでもらえばい

いとか思うだろうが分かってもらえるだろうか、人生とは勇気の連続で本当にそれに耐

えるくらいの心が自分にない時人は逃避してしまいたくなる。

 

 そしてその逃避こそが結局は強力なイマジネーションを呼んで自分自身がやるべきだ

と思うことから逃げたくなる思いが強ければ強いほど人間というのは賢くなると思うの

だ。

 

 お金についてもそうである。まじめに働いて稼ぐということに全身で否定したい気持

ちがつよいほど他のことに熱中する自分がいるのではないか?

 

その逃避を良い意味でとらえると情熱という言葉になる。

 

 私が思うのは人から良く言われることの逆をやることを責めなくていいということで

ある。人というのはいろんなことを強制してくる。一番やっかいな無理解者は他ならな

い大人で、それも親だったりするわけで、親がどれほど美辞麗句をならべて自分の将来

にたいしての説教をされたところで半日もたたずに忘れるだろうということだ。

 なのに親というものは自分が子供だった時の事をホントにまるっきり視点が入れ替わ

っただけでおなじだということがわかってない。だから自分が失敗したことをあるいは

自分ができなかったことを子供にさせよう、させまいとする。

 

 まことに愚かな生き物なのだ。それは歳が過ぎるごとに分かってくる。親もまた子供

なのだ。完全な大人というものは他人になにかを求めず、たえず自分が何がやりたいか

で動くものである。というのは行き過ぎの感があるのでまあ、子供に対しても人に理解

できる言葉で話すというものだという感じだろうか?

 何かを説明するとき、人に理解される言葉で話すのは実に頭を使う。実は理解という

のはそれほど重要じゃなくて単にその時は共感が欲しかっただけということもある。

 

 そんなことを考えて改めてお金というものを考えると、そうだな、人間関係で楽しく

生きれる人はなんにでも上手く生きていける、そんな単純な答えが一番だと思う。人と

楽しく過ごし友を得て恋人を得てそして気づけば結婚していて、子供までいてその子供

がまた子供を産んでそうしたらもう一人であーだこーだと考えていたことなどなんとち

っぽけなことだと気づくだろう。

もし、子供がいればその子供に困ったときは助けをもらえるかもしれない。

 

 この世の中、助け助けられで動いているとそう思うことのできる人生にはお金の心配

というのはあまり重要ではない。それよりも自身が何をやりたいかを明確にすることの

できる人生が優先される人生が上の人生なのではないか?

 

 わたしの物語には友情という言葉も恋という言葉もだしたいし結婚という言葉もいれ

たいし、最後の結びはそれからみんなでいつまでも幸せに暮らしましたとさ、で終わる

ようにしたい。人間、人生一回きりである、だからしてそう思うのである。